葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■ライフスタイルの変化 :住まいの変化

 テレビや自家用乗用車といった新しい耐久消費財の普及とともに、人々の生活のスタイルに影響を与えたのは住宅の変化であった。中でも、日本住宅公団(現独立行政法人都市再生機構)が昭和31(1956)年から大量供給を始めた公団住宅の影響が大きかった。公団住宅は鉄筋コンクリート造りで、代表的な間取りは広めの台所にテーブルを備え、イスに座って食事をするダイニングキッチン(DK)と2部屋を持つ「2DK」であった。木造住宅に住み、畳の上にちゃぶ台注釈1を置いて食事を取り、寝るときは同じ部屋に布団を敷くといった、それまでの一般的な都市での生活とは異なる新しいスタイルを提案した。
 昭和31(1956)年11月に葛飾区内で初めて建設された日本住宅公団の青戸住宅は、鉄筋4階建てでガスと上下水道を完備していた。間取りは2種類あり、2DK(6畳と4.5畳の2部屋とダイニングキッチン)に木製の浴槽が付いた浴室と水洗便所を備えたものと、単身者向けの1部屋(約5畳)で共同の浴室・便所を使用するものであった。この後、昭和43(1968)年に完成した日本住宅公団金町駅前団地では、1DKや2DKの他に3部屋の3Kや3DKの間取りも採用された。区内に次々と建設された公団住宅によって、新しい生活のスタイルが広まっていった。

公団住宅のダイニングキッチン(昭和32〔1957〕年)

蓮根団地(板橋区)のダイニングキッチンを移築したもの。市販の洋風家具が少なかったため、テーブルが備え付けられた。奥に見えるのはセメントと石材を混ぜた人造石を研ぎ出して作られた流し台であり、「人研ぎ流し台」と呼ばれた。
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日本住宅公団青戸住宅(A型)の間取り(昭和31〔1956〕年)

2DK の間取りを持つものとして、建坪13坪のA型と12.8坪のB型があった。
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注釈1:204ページの「再現された昭和30年代の茶の間」に写っているような、短い4本の脚を持つ食事用の台。