第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)
第1節 戦後の葛飾
■高度成長期の産業と労働力 :「町工場」の増加
葛飾区では、好景気に呼応するように工場と商店が増加した。
昭和30(1955)年に2562であった葛飾区内の工場数が昭和45(1970)年に4736となったように、高度成長期には独立・開業した工場経営者が多く生まれた。昭和47(1972)年の区内の工場を産業別に見ると、玩具産業などを含む「その他の製造業」と金属の打ち抜きや被覆(メッキ加工)、ボルトやナットなどを製造する「金属製品製造業」に分類される工場が多かった。従業者については10人未満の工場が多い。これらは住宅地の中にある「町工場」と呼ばれる小規模な工場で、多くは経営者の住居と工場が同じ建物や敷地にあり、働き手は家族と数人の従業者であった。町工場では、自分の工場で1つの製品を完成させるのではなく、メーカーの下請けや孫請けとして部品の生産などを行った。
また、昭和43(1968)年には公害の防止などを目的とした葛飾メッキ工場アパート(四つ木5丁目)が完成した。工場アパートはメッキ加工の過程で発生する汚水や粉じん、騒音などによる公害を防止するため、複数の企業が建物や排水処理施設を共同で利用するものであった。公害を防止するための設備投資が困難である中小・零細企業を対象として公害防止事業団注釈1が建設・譲渡したもので、完成後に11企業が入居した。

葛飾区の工場・商店・農家の数(昭和30〔1955〕〜昭和50〔1975〕年)
商店数について、昭和30(1955)、昭和40(1965)、昭和50(1975)年は翌年の数値。
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