葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■終戦・占領と区民生活 :町会の解散と再結成

 町会組織はGHQから戦時中の国家体制の末端を担ったと判断され、昭和22(1947)年の「政令第15号」により解散措置が取られた。このため、同年9月にカスリーン台風による被害を受けた堀切地区の有志は、水害対策委員会を新たに結成して住民の救援活動に当たった。この災害経験は、改めて区民に住民自治組織の必要性を痛感させ、同年11月に水害対策委員会を母体とした京南睦会(現堀切京南自治会)の設立につながった。この組織に「町会」の呼称が付けられなかったのは、前述の政令をはばかったためであった。