葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第2節 東京市葛飾区の誕生

■葛飾と水⑤カスリーン台風と水塚 :葛飾区内の水塚

 水塚とは、水防のため宅地の一部分を人為的に高く土盛りをし、その上に建物などを建てた水防建築のことである。一般に、「ミヅカ」と呼ばれるが「ミツカ」ともいう。利根川流域では中流域に分布するが、古利根川・中川流域にも多く見られ、利根川の河道改変地帯である埼玉県加須市や久喜市には多くの水塚が分布する。
 中川流域の最下流に位置する葛飾区では、古利根川の旧河道であった大場川や小合溜井沿いに、 昭和54(1979)年時点では10数棟の水塚が確認されている。その後、都市化に伴い多くの水塚が姿を消した。水塚の軒先に下げた田船は、カスリーン台風時には避難のために用いられた。

昭和後期の水塚の分布図

葛飾区北部に分布していることがわかる。
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亀有

GHQ東京撮影。
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金町

GHQ東京撮影。
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カスリーン台風時の浸水状況模型
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