葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■葛飾の村 :村の成立と検地

 江戸時代の大きな特色は、中世には大変複雑だった土地の保有関係を「領主と耕作者」に一本化したことにある。村の耕地・屋敷・寺社などは、等級別に石高がつけられた。石高は、一種の生産力指数で、耕地の生産力を全て米の生産量に置き換えて数値化し、設定した耕地の等級に面積を乗じて換算したもので、一村の石高の合計が村高である。村高算出の基礎となる検地の実施時期は、地域や領主によって異なるが、『新編武蔵風土記稿』によれば、慶安元(1648)年に伊奈忠治による子の御検地、元禄8(1695)年と10(1697)年に総検地が行われた。
 葛飾区に現存する最古の検地帳注釈1は、元和8(1622)年飯塚村の「下総国葛鹿郡葛西庄飯塚村御検地水帳」である。利根川はまだ東京低地に流れており、古隅田川が国境のため、国名はまだ下総国である。慶安元(1648)年の「子之御検地水帳写」は寛文6(1666)年の写し本であるが、「小合村」と書かれ、上・下小合村へ分かれる以前の表記となっている。元禄検地については、元禄8(1695)年の小合新田、元禄10(1697)年の上千葉・砂原村の原本、木下川村の写し本がある。
 「砂原村検地帳」を例に見ると、「一」(ひとつ書き)で始まる行を「一筆」という。一筆には、耕地の所在を示す字(大道上)、耕地の大きさ(18間×8間)、等級(中田)、面積(4畝 24歩)、耕作者名(玄蕃)が記載される。この一筆の合計が村高となる。

元和8(1622)年飯塚村御検地帳(関口家文書〔葛飾区指定有形文化財〕)
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元禄8(1695)年小合新田検地帳(平野家文書〔葛飾区登録有形文化財〕)
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慶安元(1648)年小合村検地帳写(細谷家文書〔葛飾区登録有形文化財〕)
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元禄10(1697)年砂原村検地帳(中茎家文書〔葛飾区指定有形文化財〕)
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注釈1:検地の結果を村単位でまとめた帳簿。水帳ともいう。