葛飾区史

第1章 葛飾の風土と自然


第3節 東京低地と利根川の改変

■葛西領の河川と用水 :「正保国絵図」に見る葛西領

 国絵図は、方位・地形・山川・道路・境界がかなり正確に描かれるため、郡単位のような広い範囲の変化を捉えることができる。しかし、必要な情報しか記載されておらず、実測図でもないため、明治時代に作成された迅速測図と比較する必要がある。両図を比べると、河川の位置や距離など、国絵図は実態に近い形で描かれていることが分かる。
【境界】
 国絵図の右側の部分は下総国であるため、記載がない。下総国との境は江戸川となっており、足立郡境から南流する古利根川は、猿ケ俣村の所で東西に分流する。足立郡との境は古隅田川で下流は浅草川に合流している。この範囲が葛飾区域も属した武蔵国葛西領である。
【河川】
 葛西領を東西に分けるのが中川である。古利根川は葛西領に入ると中川と呼ばれた。沿岸部の葛西領の東の境である江戸川河口部には「利根川」とあり、中川河口部は「古利根」と記載がある。一方、葛西領の西の境である隅田川は「浅草川」と記され、河口部には州が見えている。浅草川も上流には「入間川」の名が書かれている。
【運河(人工の河川)】
 新宿の北を回り込んで南下して二ノ江村に至る川筋は、迅速測図などから推測すると、後に江戸時代前期「下之割用水」と呼ばれた用水である。
 葛西領西部の「浅草川」と東部の「利根川」は、東西に直線に流れる川筋である「ウナギサヤホリ」で結ばれるが、これは後年「小名木川」と呼ばれ、行徳(現千葉県市川市)からの塩を運ぶために、徳川家康が工事を命じた運河である。
【沿岸部】
 「利根川」と「古利根」の河口部に見られる模様は干潟を表現したものである。国絵図には浅草川河口部西岸から南部、現在の港区沿岸にあたる部分には「塩干百廿間(約218m)遠浅八拾間(約145m)」、大田区沿岸には「塩干百貮拾間(約218m)遠浅四百間(約 727 m)」の記載があり、当時の塩浜(塩田)と遠浅の海岸の干潟の分布が分かる。葛西領の沿岸部の開発は、この干潟の埋め立て・干拓であった。迅速測図にはその成果が反映されている。

葛西領概念図
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迅速測図に見る東京低地
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