葛飾区史

第1章 葛飾の風土と自然


第3節 東京低地と利根川の改変

■江戸時代以前の東京低地 :利根川の改変

 利根川改変の始まりは、天文15(1546)年である。埼玉県春日部市に伝わる長本家文書には「天文十五午年 新川掘ル也 今古川となる」と記されており、新しい川筋である新川が、 庄内古川から常陸川に向かって開削されたと解釈できる。この時点ではまだ渡良瀬川本流であった庄内古川(古川)と、開削された庄内古川(新川)は、つながっていない。これを結ぶのが、権現堂川の末端から江戸川の開削地点までに掘られた逆川である。
 江戸川の開削時期は、寛永3(1626)年や寛永 17(1640)年などの諸説があり、順次開削されていった様子が伺える。利根川を常陸川に導くためには、台地を開削して大山沼や釈迦沼を水源とする常陸川筋に導かなければならない。これが赤堀川で、一番堀は元和7(1621)年、二番堀は寛永2(1625)年、三番堀は承応3(1654)年に掘られ、100年に及ぶ利根川の改変が終了する。
 古利根川に合流していた荒川も寛永6(1629)年に久下(現埼玉県熊谷市)で和田吉野川に導かれ、入間川の下流を奪って東京低地に入る現在の河道となった。

長本家文書
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利根川の移り変わり
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