葛飾区史

第1章 葛飾の風土と自然


第3節 東京低地と利根川の改変

■江戸時代以前の東京低地 :利根川研究の歴史

 利根川水系の治水への関心は、寛保2(1742)年の利根川水害や、天明3(1783)年の浅間山の噴火により洪水が多発するようになった 18 世紀後期以降に高まった。しかし、利根川の大規模な河道改変が始まる16世紀当時の古文書は残っていない。
 明治時代には、江戸時代の基本文献を基に河川整備の立場から利根川の研究が進んだ。その結果、「文禄3(1594)年の会の川締切に始まり、元和7(1621)年の新川通と赤堀川一番堀の開削、寛永 12(1635)〜 18(1641)年の江戸川の開削、さらに、赤堀川はその後2回にわたり拡幅され、別水系であった常陸川と結ばれ、承応3(1654)年に太平洋に注ぐ現在の利根川の流路が定まった」という「利根川東遷」説が構築された。
 その後、1980 年代以降に進んだ自治体史の成果として新しい史料が発見され、利根川の改変時期に歴史学、地理学からもより詳細な検討が加えられていった。

天文15(1546)年の利根川周辺図

庄内古川から常陸川に向かって川筋が開削されている。
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承応3(1654)年の利根川周辺図
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