子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第3節 飛鳥・奈良・平安時代

■飛鳥・奈良・平安時代の葛飾のくらし :

遺跡からわかる葛飾の暮らし
 飛鳥・奈良・平安時代の葛飾の暮らしはそれまでと変化が見られます。この変化は遺跡 土品からわかるのです。
 古墳時代と比べると奈良時代以降は、魚をとるための道具が少なくなり、田んぼで使う道具が多く見つかっています。このことから、葛飾で米をつくっていたことや、魚をとるより農業を行う割合が多くなったことがわかります。
 葛飾の辺りは、舟で運んだ荷物を積みかえたりする交通の拠点だったと考えられていて、現在の愛知県で焼かれた陶器も見つかっています。

大嶋郷のむらの想像模型(葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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奥戸で見つかった鋤と田下駄(葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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鋤と田下駄の使い方(イメージ)
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「万葉集」から見る葛飾郡
 最も古い奈良時代の和歌集である「万葉集」に昔の葛飾について歌われています。

にほ鳥の葛飾早稲をにへすとも そのかなしきを外に立てめやも

 これは、今の言葉にすると、「葛飾早稲の稲を神に供えるときでも、そのいとしい人を家の外に立たせなどするものか」という意味です。