子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第3節 飛鳥・奈良・平安時代

■葛西郡から葛西へ :

平安時代の貴族が都で優雅な暮らしをするころ、地方では有力な農民や都から派遣された役人が新たな田畑をつくり富をたくわえ、土地を守るために武士が現れます。やがて、武士の源氏と平氏が力をつけて戦い、平氏が勝って、平清盛が武士ではじめて政治を行うようになりました。



葛西と呼ばれるようになった葛飾郡
 葛飾郡でも農地をつくり、自分の土地を持つ人が現れました。この大きな私有地を荘園といいます。平安時代の後半になると、葛飾郡の北側に大きな荘園ができました。また、南側は、太日川(現在の江戸川)の西側を葛西、東側を葛東と分けて呼ぶようになってきました。
 葛飾は、葛西にあたります。この葛西を治めたのが武士の豊島清元でした。清元は、1176年に下総国で最も格式の高い神社である香取社(現在の香取神宮、千葉県佐原市)の建てかえに関わっています。このため、遅くても1176年までには葛西一帯に力を持ち、下総国の中でも高い地位にいたと考えられています。

下総国葛西御厨周辺

葛西は現在の葛飾区・江戸川区・墨田区・江東区にあたります。
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豊島清元坐像
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