子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第3節 飛鳥・奈良・平安時代

■下総国葛飾郡の誕生 :

6世紀末ごろから天皇を中心とした国づくりを目ざした政治の改革が行われました。8世紀になると、各地に国がつくられ、国は郡・里(郷)にわかれました。葛飾は、下総国葛飾郡に属することになりました。



都を中心とした国づくり
 8世紀になると天皇を中心とした国づくりが進み、平城京(奈良県)に都が置かれました。各地に国がつくられ、国は郡・里(郷)にわかれました。また、都から国につながる道を整備し、国に都から役人が派遣され、税が納められるか監視していました。この道は、都へ税を運んだり、各地の人びとを都の工事などの働き手や兵士として送るためにも使われました。8世紀の中ごろには、伝染病、ききんの発生や貴族の争いが起こり、仏教の力で国を守ろうと国ごとに国分寺がつくられます。

国・郡・里(郷)の役割
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下総国葛飾郡の誕生
 関東にも国や郡ができて、葛飾は下総国葛飾郡に属しました。葛飾郡は、現在の葛飾区・墨田区・江東区・江戸川区、千葉県・埼玉県・茨城県の一部に及ぶとても広い範囲でした。下総国の役所である国府や国分寺は葛飾郡に置かれ(ともに現在の千葉県市川市)、下総国の政治・文化の中心となりました。