子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第3節 飛鳥・奈良・平安時代

■飛鳥・奈良・平安時代の葛飾のくらし :

710年に平城京(奈良県)に置かれた都は、794年に平安京(京都府)に移されます。このころになると有力な貴族が政治を動かすようになり、都ではなやかな生活をしていましたが、地方の人びとは米や地方の特産物を納めたりしなければなりませんでした。



戸籍からわかる大嶋郷の暮らし
 国は誰がどこに住んでいるか把握するために、戸籍をつくりました。奈良県にある正倉院には、721年の戸籍が伝わっていて、その中に「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」があります。
 大嶋郷は、現在の葛飾区・江戸川区付近にあったと考えられています。大嶋郷には、嶋俣里・仲村里・甲和里があり、嶋俣里は現在の葛飾区柴又、甲和里は江戸川区小岩の辺りです。仲村里は、葛飾区立石・奥戸の辺りとする考え方もありますが、はっきりわかっていません。
 戸籍には名前や年れいが書いてあり、どのような人が住んでいたかがわかります。大嶋郷には、1191人が住んでいて、ほとんどが孔王部さんでした。嶋俣里には367人が住んでいました。

刀良・佐久良賣の名前が記されている「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」
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兄弟がいっぱい
 大嶋郷戸籍に、孔王部黒人という人が記されています。妻は孔王部阿古売で、妻の母の名前も記されています。子どもは宇多麻呂など9人いました。宇多麻呂にも2人の子どもがいて現在と比べて大家族だったことが分かります。