葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■ライフスタイルの変化 :家族の変化と住宅、保育施設

 公団住宅をはじめとした住宅の建設は、葛飾区における世帯数の増加をもたらした。昭和30(1955)年は6万3418世帯であったが、昭和45(1970)年には約2.2倍の13万6575世帯に増加し
た。同時に進行したのが1世帯当たりの人数の減少であり、昭和30(1955)年は4.6人であったが昭和45(1970)年には3.4人に減少した。このように規模が小さくなった世帯を受け入れたのは2DKや3K、3DKなどの間取りを持つ公団住宅と共に、持ち家よりも床面積が狭いアパートなどの貸家であった。高度成長期には多くの貸家が建てられた。
 また、高度成長が続く中で労働力が不足したこともあり、昭和30年代後半以降、結婚後も働き続ける女性が増加し始めた。特に、家族で経営している中小企業や個人商店が多い葛飾区では、女性は貴重な労働力だった。このため保育所などの保育施設の需要が高まり、整備が進められた。昭和35(1960)年に21であった区内の保育施設の数は、昭和45(1970)年には38に増加した。

葛飾区内で新設工事が始まった住宅数(昭和36〔1961〕〜昭和47〔1972〕年)
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