葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第2節 東京市葛飾区の誕生

■第2次世界大戦下の生活 :葛飾区内の軍事施設・軍需工場

 太平洋戦争が激しくなると、葛飾区内の工場は軍需工場に指定され、陸海軍の需要に応じた生産を行った。例えば、自転車を製造していた大日本機械青戸工場は、飛行機の部品を大規模に製造するようになった。また、ゴム工場であった三甲ゴムは、防毒マスクや手榴弾のカバーを製造するようになった。立石にあった大和護謨では、軍馬が付ける防毒マスクを作っていた。空襲に備えて、四つ木、青戸には陸軍の高射砲陣地が築かれ、対空高射砲が設置注釈2された。




注釈2:山口敏郎・長野計行らの調査によると、高射砲の陣地があったのは現在の白鳥2丁目であり、その他に荒川の四つ木対岸にも可動式と思われる小さな高射砲が設置されていた。