葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■農村のもの作り :もの作りの原点

 同じように農村で行われた手工業に、青戸・堀切・宝木塚などで行われていた「今戸焼作り」がある。今戸焼は現在の台東区今戸で始められた窯業である。今戸焼は土人形 で有名だが、他にも植木鉢・瓦などの製品がある。葛飾区域内にはその原料である土の採集地があり、のちに製造業者が移り住んで産地となった。
 この他にも、海藻のクゴを原料とした「クゴ縄作り」も現在の新小岩・東新小岩・西新小岩などで大正時代まで行われていた。
 稲のわらを材料とした縄・むしろなども自家用として消費する他、商品として流通もしていた。これらのわら製品は、足立区千住に仲買人がいてそこへ出荷した。また、松戸などで開かれた定期市でも販売された。
 同じように稲のわらを用いた「しめ飾り作り」も葛飾区域をはじめ、江戸川区域や足立区域などの東京東郊農村で広く行われていた。
 こうした農村を場とした自然素材を用いたもの作りは、その後、新しい素材の製品が生まれたことで、次第に淘汰されていったものが多い。しかし、その後に継承される製品や産業の発想の原点になっている。

葛飾区内で行われていた今戸焼による植木鉢作り(昭和63〔1988〕年)
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