葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■江戸東郊としての葛飾 :浄光寺と御成記

浄光寺は、2代将軍徳川秀忠が江戸城内紅葉山注釈1に造営した御霊屋(廟所)を管理する別当職に任命され、将軍家と深いつながりを持った。「木下川の薬師さま」として多くの信仰を集めると共に、杜若の名所でもあった。また、御膳所として多くの御成があり、その様子が記録された「御成記」が残る。なお大正8(1919)年5月、荒川放水路の開削に伴い現在の寺地(東四つ木1丁目)に移転している。

「御成記」(浄光寺近世文書〔葛飾区指定有形文化財〕)

文政4(1821)年と天保2(1831)年は11代将軍家斉、弘化4(1847)年と嘉永5(1852)年は12代家慶、13代将軍家定父子の御成りの様子が記録されている。
戻る時は右上の×をクリックしてください




注釈1:江戸城西の丸の北側に造られた小丘。ここに元和4(1618)年、徳川家康を祭る東照宮が創建され、秀忠以降の歴代将軍の廟所(先祖や貴人の霊を祭ってある所)も置かれた。