葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■江戸東郊としての葛飾 :水戸佐倉道

 江戸幕府は参勤交代制度を定め、街道を整備して要所に関所を設けた。葛西領内を通る主な街道には、水戸佐倉道、元佐倉道、岩槻道などがある。水戸佐倉道は、道中奉行が管轄する日光道中に付属する街道で、千住宿から分かれて葛西領に入り、宿場町新宿から佐倉道を分岐した。道中奉行の管轄は、水戸道は松戸宿(千葉県松戸市)まで、佐倉道は八幡宿(千葉県市川市)であり、その先は勘定奉行注釈1管轄の脇街道であった。新宿から2つの街道が分かれる形で整備されたのは、天和元(1681)年以降で、それ以前は元佐倉道が本来の街道であった。両街道が江戸川を渡る地点には、水戸道に金町松戸関所、佐倉道に小岩市川関所が置かれた。

五街道其外 分間延絵図 関宿多功道(文化3〔1806〕年)
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注釈1:江戸幕府の職名。幕府財政の運営や幕府直轄領の年貢徴収などを行った。