子ども葛飾区史

第3章 地域の歴史


第5節 高砂

■ :高砂

京成高砂駅(高砂5丁目)  
 高砂にはじめて鉄道が通ったのは、1912(大正元)年です。最初は曲金駅という駅名でしたが翌年に高砂駅に変わりました。その後、1931(昭和6)年に青砥~日暮里間が開通し、駅名が現在の京成高砂駅になりました。1960(昭和35)年には都営地下鉄ともつながるようになり、都心への交通が便利になりました。  
 高砂の人口は、1955(昭和30)年には約8500人でした。しかし、交通が便利になると人口が増えはじめます。特に都営住宅(高砂4丁目)ができた1960年代ごろから増加し、1970(昭和45)年には約2万6000人となりました。駅ができて人口が増えたことで、生活を支える商店ができ、道路も整備されるなど発展していきました。  
 現在、京成高砂駅には多くの電車が通っています。このため、駅の周辺には長時間開かない踏切があり、歩行者にとって不便で、交通渋滞も発生しています。このような問題の解決を目指して、鉄道の立体交差と新しいまちづくりが進められています。

開かずの踏切といわれる京成高砂駅前の踏切
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開通当初の京成電車と高砂鉄橋(1912〔大正元〕年)
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大正時代の京成高砂駅(1914〔大正3〕年)
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