第3章 地域の歴史
第5節 高砂
■ :高砂
曲金菜
「曲金菜」とは、現在の高砂辺りで多くつくられていた白菜に似た葉物野菜です。1932(昭和7)年まで高砂は曲金という地名で、ここに住む関根保太郎さんが中心となって品種改良をしたことから曲金菜という名前になりました。
明治時代の終わりから大正時代のはじめにかけてかなりの量が出荷され、となりの新宿が曲金から種を手に入れて改良したという記録も残っています。その後、ほかの野菜におされて、見られなくなっていきました。
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青龍神社と怪無池(高砂6丁目)
青龍神社は、中川の土手のすぐそばにあり、境内には怪無池とよばれる大きな池があります。池の水は枯れることがなく、神聖な池とされていました。
日照りが続くと池の水を田畑に注いだり、明治時代には雨乞いの行事を行ったりしたと伝えられています。また、池をよごしたり水をかき出そうとすると悪いことが起こるといわれていました。「けがなしいけ」に通じることから「けががない」ようにと、これから戦争に行く人がよくお参りに行きました。