子ども葛飾区史

第3章 地域の歴史


第5節 高砂

■ :高砂

中川と新中川  
 埼玉県羽生市から葛飾区の中央を流れ、東京湾に注いでいる中川は、ものを運ぶ船の水路として活用されたほか、川の水を多く利用する工場が建てられたりするなど、葛飾に多くのめぐみをもたらしてきました。  
 しかし、大雨や台風でたびたび堤防がこわれ、地域に大きな被害をもたらすこともありました。特に、1947(昭和22)年9月のカスリーン台風では、中川の堤防も決壊し、葛飾区内のほとんどが水びたしになりました。このような水害を防ぐため、1949(昭和24)年に中川放水路(現在の新中川)の工事が始まり、1963(昭和38)年に完成します。高砂で分かれる新中川の完成により、多くの土地が失われましたが、中川流域の洪水の危険性も減りました。高砂1丁目の新中川通水記念公園は、新中川の完成を記念して1972(昭和47)年に整備されたものです。  
 なお、高砂と青戸を結ぶ高砂橋は、1932(昭和7)年に架けられました。橋がかけられるまでは、「曲金の渡し」とよばれる渡し舟があって、舟を使って川を渡っていました。現在の橋は、2003(平成15)年に架け替えられたものです。

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中川と新中川

上流から下流を見る。左側(東)が高砂方面、右側(西)が青戸方面です。
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上空から見た高砂橋(昭和初期)
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中川放水路通水式(1963〔昭和38〕年)
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新中川通水記念公園
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