子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第9節 昭和時代

■学校生活への影響 :

戦争は、学校に通う子どもたちの教育にも大きな影響をあたえました。授業では、軍隊に入るための訓練や看護の訓練も行われました。



小学校から国民学校へ  
 1941(昭和16)年に、それまでの小学校は、国民学校になりました。入学は現在と同じ6歳からで、初等科(6年)と高等科(2年)がありました。国民学校の児童は「少国民」とよばれ、未来の兵隊として育てられました。授業では、軍隊に入るための訓練や看護の訓練も行われました。教科書にも戦争に関することが多く書かれていて、運動会でも戦争に関わるプログラムがありました。また、子どもたちの遊びも戦争ごっこや看護婦ごっこなどになりました。

国民学校の教科書 (葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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1930(昭和5)年の水元尋常小学校高等小学校の運動会プログラム(午前の部抜粋)(葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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学校から工場・戦場へ  
 戦争が激しくなると、国民学校高等科以上の生徒(中学生)や学生は、学校での授業をやめて軍需工場や農家などで働くようになりました。さらに、大学生や専門学校生が兵士として戦場に送り出されるようになりました。

軍需工場で働く女学生たち(1944〔昭和19〕年ごろ)(兵庫県) (昭和館提供)
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