第2章 葛飾の歴史
第7節 明治時代
■武蔵国から小菅県、東京府南葛飾郡へ :
1867年に15代将軍の徳川慶喜は、政権を朝廷に返し(大政奉還)、江戸幕府は終わりを告げ、翌年、江戸は東京と名前が変わります。現在の葛飾区もいろいろと名前の変更がありました。
小菅県の誕生
1869(明治2)年に小菅県ができ、葛飾は小菅県に属することになりました。小菅県は現在の葛飾区・足立区・江戸川区の大部分と墨田区・荒川区の一部、千葉県・埼玉県の一部におよぶ広い範囲で、355町村ありました。県庁は、小菅御殿があった旧代官所内(現在の小菅1丁目)に建てられました。