第2章 葛飾の歴史
第6節 江戸時代
■街道の整備と新宿の発展 :
江戸幕府は、交通の整備に力をいれ、全国を結ぶ道が整備されていきました。特に、江戸日本橋を起点とした五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)は、多くの通行人でにぎわいました。また、幕府の文書や荷物も運ばれました。
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葛飾を通った道
葛飾には水戸佐倉道という道が通っていました。水戸佐倉道は、江戸と水戸(茨城県)、江戸と佐倉(千葉県)を結ぶ道で、新宿(葛飾区)で水戸方面と佐倉方面に分かれました。
水戸は、将軍家の一族、徳川御三家のひとつ水戸徳川家(水戸藩)が治めていて、水戸藩主などがこの道を通っていました。また、江戸と水戸を結ぶ重要な道として、江戸幕府が管理していたのです。
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宿場町新宿の発展
宿場とは、旅人などをとめたり、幕府の文書や荷物を運ぶ馬を置いておく場所です。戦国時代につくられた葛西新宿は、江戸時代に街道が分かれる場所として発展し、宿屋や茶屋が並ぶ宿場町となりました。
新宿の道は、見通しを悪くし、戦いのときに攻めづらいように道の3カ所を直角にしました。各角には寺や神社を配置して、いざというときのかくれ場所としました。現在でも新宿には当時の様子が残っています。
また、亀有と新宿間を流れる中川を舟でわたる「新宿の渡し」がありました。