第2章 葛飾の歴史
第6節 江戸時代
■金町にあった関所 :
江戸幕府は、江戸が攻められないよう重要な場所に関所をつくり、人や物の出入りを取り締まりました。
金町松戸関所
葛飾には1600年ごろに金町松戸関所が設置されました。現在の葛飾橋から約300メートル上流の江戸川河川敷にあり、江戸と下総(現在の千葉県)、常陸(現在の茨城県)、陸奥(現在の東北地方)を行き来する人びとを取りしまっていたのです。
みはりや取り調べを行う建物は、金町にありました。門は、明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)まで開けられていて、それ以外の時間は通ることができませんでした。
関所を通るには、「手形」と呼ばれる通行許可証が必要でした。取り調べを受け、通行が許可された人は、船に乗り江戸川をわたりました。松戸側から江戸に向かう人は、江戸川を船でわたった後に関所で取り調べを受けました。江戸幕府は、1度に多くの敵が江戸を攻撃できないようにするためと、船の交通を発展させることなどから川に橋をかけることを制限していたのです。船でわたる場所も制限されていましたが、関所の前は幕府から許可されていました。利根川と江戸川で幕府が認めたわたし船があったのは16カ所だけでした。