子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第5節 室町・安土桃山時代

■葛西城周辺での戦い(上杉氏から北条氏へ) :

1467年に応仁の乱が起こり、幕府のあった京都が焼け、幕府の力は弱まりました。幕府のもとで力を持っていた守護大名に代わって、各地で実力をたくわえていた戦国大名と呼ばれる武将が現れ、100年ほど戦いが続きました。このころ関東で勢力をのばしたのが、相模 国小田原(現在の神奈川県小田原市)に本拠を置いた北条氏でした。



葛西城をめぐる戦い
 北条氏初代の伊勢宗瑞(後に北条早雲と呼ばれる)は、伊豆国を治め、相模国に進出して戦国大名となりました。2代目の北条氏綱は、相模国から武蔵国(現在の東京都・埼玉県の辺り)へ軍を進め、江戸城を攻め落とし、葛西城まで攻めこんできました。
 当時、武蔵国などを治めていた上杉氏にとって、葛西(現在の葛飾区など)は、川を通り海や内陸部にわたる交通の重要な拠点でした。葛西城を失えば、この拠点を失うことになるため、必死に戦い葛西城を守りました。しかし、1538年2月、再度攻めてきた氏綱に攻め落とされ、葛西城は北条氏が治めるようになりました。

北条氏の勢力図
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北条氏綱
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