葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第2節 低地で暮らす

■水への畏れ :堤防を切る

 埼玉県三郷市戸ケ崎には、宝永元(1704)年の洪水のときに村の若者が自分達の村の堤防を守るため、獅子頭を被って洪水の中を泳いで渡り、水元猿町の堤を切ったという話が伝わっている。おかげで戸ケ崎は洪水から守られたが、獅子頭を被って水元猿町の堤防を切った若者は洪水で流され命を落としてしまった。その由緒を伝えるため、戸ケ崎の獅子舞には獅子が刀で堤を切るしぐさが入っているという。
 『武江年表』によると、宝永元(1704)年の6月15日から7月2日の間に江戸近郊で大雨が降り、7月4日に猿が又の堤防が決壊して大きな被害が出たという。戸ケ崎の若者が獅子頭を被って堤防を切ったという伝説はこのときの洪水に由来したものであろう。
 戸ケ崎と同じような話は奥戸新町にもある。洪水から村を守るため、対岸の村の堤防を切る役を村に働きに来ていた作男にやらせることにした。作男は対岸の堤を切ることに成功したが濁流の中で落命した。洪水が引いた後で、2本のモチの木が奥戸新町の宝蔵院に流れ着いた。その木は死んだ作男とあとを追って死んだ作男の許嫁の霊であるとして、宝蔵院ではそれを供養して植樹したという。