葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第2節 低地で暮らす

■池の多い土地 :池の多い土地

 現在ではほとんど見ることができなくなったが、昭和30(1955)年頃まで、葛飾区のあちこちに池が存在していた。これらの池の記憶は今も印象深く伝えられている。
 江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』も池に関心を寄せていて、当時の各村にどのくらい池があったのかを記録している。例えば、金町村の記述には「池七か所 何れも洪水にて堤切れし時自然と池をなせしものなり」とある。
 江戸時代以前に存在した池の多くは、金町村の池のように洪水が原因でできたものであった。川の流路が変わるほどの大洪水が起きると、旧河道の一部が取り残されて池になったり、堤防を破堤させた水の勢いで池ができることがある。
 江戸時代の地誌が池に関心を持って記録していたのは、これらの池が人々の生活と深く関わっていたからである。

現在の東水元小学校付近にあった池
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