葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■経済の安定成長からバブル経済へ :バブル経済の発生と地価の上昇

 石油危機後の不況を乗り越える原動力となった日本の輸出産業においては、昭和60(1985)年のプラザ合意注釈1後の急激な円高によって輸出の伸び悩みが心配された。このため、各企業ではコンピューターや通信機器などを活用した生産・販売によって欧米諸国への輸出を急増させた。その結果として大きな利益を得た日本に対する欧米諸国からの反発を招き、欧米諸国と日本との貿易摩擦が問題になった。また、円高による不況や貿易摩擦への配慮から、政府は輸入の増加を促すとともに、国内の需要を拡大するために低金利政策を実施した。このような中、貿易や海外への投資によって利益を上げた企業が土地や株式を買ったり、銀行が資金の貸し付けを積極的に行ったことから地価と株価が急激に上昇した。
 この結果、昭和61(1986)年から4年以上にわたる好景気が続いた。しかし、この好景気は価値が上がった土地や株式の売買によって大きな利益を得ようとする取り引きが拡大したためにもたらされたものであり、経済の実態からかけ離れた泡のようであるという意味で、後に「バブル経済」と呼ばれた。
 葛飾区においても地価は著しく上昇した。中でも商店が集まる新小岩、亀有や金町地域での地価の上昇率が大きかった。バブル経済を背景として、区の歳入の基礎となっている特別区税も増え、昭和60(1985)年度から平成4(1992)年度までの8年間で約1.5倍になった注釈2

商業地の公示地価(1㎡当たり)(昭和60〔1985〕〜平成3〔1991〕年)
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バブル経済に沸いた頃の空き地

資産価値が高くなった土地の強引な買い上げなどにより、空き地が多く生まれた。
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注釈1:昭和60(1985)年にアメリカ・西ドイツ・フランス・イギリス・日本の5カ国の大蔵大臣・中央銀行総裁会議で合意されたドル高を是正するための方針。会議がニューヨークのプラザホテルで開かれたため、「プラザ合意」と呼ばれている。
注釈2:昭和60(1985)〜平成4(1992)年度の特別区税決算額は、220億3975万円から334億9180万 1000円に増加した。