葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■経済の安定成長からバブル経済へ :産業構造の変化

 2度の石油危機は世界経済の停滞をもたらしたが、日本経済は欧米諸国よりも早い立ち直りを見せた。これは、自動車、電気機器や半導体などの工業製品の輸出が増大したことに加えて、大企業を中心として人員や人件費の削減などによる減量経営が推進され、また工場のオートメーション化などが行われたためであった。大企業が減量経営を進めた結果、余った人員はサービス産業などに吸収されていった。
 葛飾区においては、第1次石油危機以前の昭和44(1969)年から第2次石油危機が終わる頃の昭和56(1981)年にかけて、主な産業の事業所数が増加傾向にあった。特に建設業において事業所数と従業員数が増加し、それに比例して区内の住宅数は昭和44(1969)年から平成3(1991)年の間で約1.4倍の増加となった。製造業では、昭和56(1981)年まで事業所数は増加したが、従業員数は一貫して減少した。これは小規模な町工場が増加した一方、従業員数が多い大規模な工場が区外へ移転したためであった。また、日本の産業構造のサービス化を反映して、区内でもサービス業の事業所と従業員の数が増加していった。

トヨタ自動車の組み立て工場(昭和40年代)
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葛飾区の主な産業の事業所数の指数(昭和44〔1969〕〜平成3〔1991〕年)
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葛飾区の主な産業の従業員数の指数(昭和44〔1969〕〜平成3〔1991〕年)
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