葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■葛飾と水⑥用水から親水公園へ :曳舟川親水公園の誕生

 かつての葛飾区内を縦横に網羅した用水路は、現在では親水公園やコミュニティ道路または緑道に姿を変えて、区民の憩いの場となっている。旧上下之割用水では、東用水せせらぎ通り、奥戸中井堀通り、西井堀緑道、小岩用水緑道、旧葛西用水では、曳舟川親水公園がある。中でも曳舟川親水公園は、江戸時代以来の区西部の主幹用水である。昭和28(1953)年に、西側の古上水堀と東側の中井堀の一本化工事が開始された。第1期工事は、お花茶屋から南の四つ木の国道6号線付近まで、第2期は、お花茶屋から亀有五丁目までである。この工事で、2本あった水路が1本となり、両側には幅10mの道路が造られた。古上水堀である曳舟川の名前のみが残ったため、かつての景観がわかりにくくなっている。両水路とも荒川を越えた墨田区では、道路として残っている。

古上水堀と中井堀の一本化工事の様子(昭和33〔1958〕年5月)
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古上水堀と中井堀を隔てていた堤(昭和33〔1958〕年5月)
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曳舟川埋立て工事(昭和63〔1988〕年)
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工事中の曳舟川(平成13〔2001〕年)
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曳舟川の橋
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曳舟川の橋の位置

地図中の番号と左側の表の番号は対応している。
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