葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■野菜栽培技術の進展と都市近郊農村化 :野菜作りの創意工夫

 市場へ商品として出荷する野菜は、買う人達の嗜好性に合わせて改良されていった。
 例えば新宿で栽培されていたネギについて、『東京府南葛飾郡新宿町農事調査』には、ネギの白軸部分を伸ばすための工夫を、ネギの白軸が明治 15(1882)年頃には5、6寸であったものを明治 20(1887)年頃から次第に改良を加え現在は長いものは2尺5、6寸になったと記されている。
 市場でネギの品質を評価する尺度の1つに白軸がいかに長いかということがあった。そのために「土寄せ」といってネギの軸の根元に成長に応じて土を被せていく。土を被せた部分には光が当たらないため白軸となる。丁寧な農家では、白軸の部分の鮮やかさを際立たせるために、土寄せをする際に米のもみ殻をネギの根元に入れたという。こうした技術は農家自身が経験を基に工夫を重ねたものである。
 また、金町小カブと呼ばれる耐寒性のカブは、明治時代の終わり頃、金町の篤農家・長谷緑之助によって改良されたものである。春先になり都会の人達が、そろそろ新鮮な野菜を食べたくなる時期に、いち早くカブを届けることができた。 
 明治から大正にかけて、葛飾区域など都市近郊農村では様々な野菜の品種が改良されたが、当時は農家が都市の市場へ出荷し、市場関係者や消費者と対話する過程でより消費者に好まれるよう改良されたものがほとんどであった。そうしてできた野菜の多くは現在も伝えられている。

きれいに軸がそろったネギの束(昭和20年代)

収穫されたネギの中から特に出来の良いものを選び、一束にすることを「ネギのイチヤゴオリ」と呼んでいた。
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曲金菜(「武蔵國漬菜之図」)

日本を代表する博物学者田中芳男の描いた曲金菜の画像。高砂の篤志家関根保太郎が中心となって品種改良した葉物野菜。
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金町コカブ
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オオタバというネギの梱包

昭和 10(1935)年頃まで正月の初荷のときに作られた。
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