葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■農村のもの作り :農村手工業

 明治から大正にかけて、流通形態が近代化され、農村の生業が外部の資本などと結び付くようになった。葛飾区域でも、江戸時代から続いてきた伝統的な技術を生かしながら、農村で新たに手工業的な生産が行われるようになる。
 その代表的なものは、上平井(現東新小岩・西新小岩)で行われていた「ふのり製造注釈1」である。ふのりは着物の洗い張りに用いられる日用雑貨品である。ふのり製造は江戸時代から上平井の農家の副業として行われていた注釈2
 これが大正12(1923)年刊行の『南葛飾郡誌』によると、「此の副業に従事するもの従前40戸ほどもあったが、現在は20戸ほどである。漸く減っては居るが布海苔製造業の基礎は漸次確実となって今では組合を作り東京の問屋とも連絡をとって昔より盛んになって居る」と記述されている。昭和11(1936)年には製造者は13戸になるが昭和10(1935)年度の生産高は4万7500貫に達し、国内では三重県明和町大淀などと並ぶ大産地になっていた。こうしたことから、明治から大正にかけてふのり製造は農家の副業という規模ではなくなり、小規模の業者が淘汰され大規模化された家が残っていったものと考えられる。
 ふのり製造は6月から9月頃の夏の間に行われた季節仕事であり、埼玉県三郷市や吉川市付近から大勢の出稼ぎの人を雇用して行っていた。でき上がった製品は日本橋などの雑貨問屋を通じて全国に流通していった。

ふのり製造の様子(昭和61〔1986〕年)
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注釈1:同じ名前の海藻から作られる糊。着物をほどき生地に戻して洗った後、板に張り付けてしわを伸ばす「洗い張り」などに使われる。
注釈2:『増補葛飾区史上巻』に(葛飾区、昭和 60〔1985〕年)には天保3(1832)年には上平井の143戸のうち68戸がふのり製造を行っていたとある。