第3章 地域の歴史
第6節 細田・鎌倉
■ :細田・鎌倉
曼荼羅とよばれた鎌倉
鎌倉は、曼荼羅ともよばれていました。奥戸2丁目の奥戸天祖神社にある江戸時代はじめの資料には「曼荼羅村」と書かれていることなどから、正式な地名は鎌倉ですが、曼荼羅とよぶ人も多かったと考えられます。
曼荼羅とよばれるようになったのは、江戸時代に亡くなった人の死後の幸福を願って石の板に文字を刻んだ板碑が見つかり、これを「曼荼羅」とよぶようになったからだといわれています。
曼荼羅とよばれた鎌倉
鎌倉は、曼荼羅ともよばれていました。奥戸2丁目の奥戸天祖神社にある江戸時代はじめの資料には「曼荼羅村」と書かれていることなどから、正式な地名は鎌倉ですが、曼荼羅とよぶ人も多かったと考えられます。
曼荼羅とよばれるようになったのは、江戸時代に亡くなった人の死後の幸福を願って石の板に文字を刻んだ板碑が見つかり、これを「曼荼羅」とよぶようになったからだといわれています。