子ども葛飾区史

第3章 地域の歴史


第11節 立石(立石・東立石)

■ :立石(立石・東立石)

レンコンづくり  
 大正時代から昭和時代のはじめごろにかけて、立石ではレンコンづくりがさかんでした。レンコンは、稲を育てる田んぼとしては利用しにくい水はけの悪い田んぼでも育ち、収入も増えることからさかんにつくられました。  
 レンコンはハスの茎にできます。葛飾では、当初ナガハスという元々日本にあったハスが栽培されていました。ナガハスからできたレンコンは色が白くてやわらかく、切ったときの穴がきれいにそろって見た目がよいため、料亭などで高く売れました。しかし、病気になりやすいため、しだいに病気に強い中国原産のハスに変わっていきました。中国原産のハスはナガハスより味が落ちますが、値段は安く、昭和20年代以降はほとんどが中国原産のハスに変わりました。  
 レンコンを収穫する作業はとても大変でした。レンコンをほって収穫することを仕事にする人たちもいて「蓮屋」とよばれていました。ふだんは植木屋などの別の仕事をしていたり、レンコン栽培をしている農家の次男や三男などがレンコンがとれる秋から冬の時期になるとレンコンをほる仕事をしたのです。蓮屋は、レンコンが栽培されている田んぼごと買い取ってほる場合もありました。

レンコン収穫の模型(葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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レンコン収穫の模型(葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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東立石でのレンコン収穫の様子(1937〔昭和12〕年)
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