第2章 葛飾の歴史
第9節 昭和時代
■戦後の教育 :
分けられた小学校の授業
戦後の葛飾区は人口が増え、小学生の人数も増えました。そのため、教室の数が不足し、ほとんどの小学校で午前と午後に児童を分けて授業をしました。それでも授業を受けられない児童がいる場合は、小さな教室をつくってそこで授業をしました。午前と午後に分かれる2部授業がなくなるのは、1964(昭和39)年になってからでした。
分けられた小学校の授業
戦後の葛飾区は人口が増え、小学生の人数も増えました。そのため、教室の数が不足し、ほとんどの小学校で午前と午後に児童を分けて授業をしました。それでも授業を受けられない児童がいる場合は、小さな教室をつくってそこで授業をしました。午前と午後に分かれる2部授業がなくなるのは、1964(昭和39)年になってからでした。