子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第8節 大正時代

■工場の進出 :

大正時代になると、日本は第1次世界大戦により輸出が増え、一時的に景気がよくなりました。そのころ、水運に恵まれていた葛飾にも工場が進出しはじめます。

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葛飾に進出しはじめた工場
 1917(大正6)年には三菱製紙中川工場が現在の葛飾にいじゅくみらい公園や東京理科大学葛飾キャンパスの場所に、1918(大正7)年には日本紙業(当時は日本紙器製造)亀有工場が現在のアリオ亀有の場所に建てられるなど、大きな工場が建ちはじめます。1922(大正11)年には28の工場がありました。

上空から見た三菱製紙中川工場(昭和30年代)
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川沿いに多い工場
 大正時代の工場は、中川や綾瀬川などの川沿いに多く建てられました。当時はまだ物を運ぶのは陸上ではなく、川を使って船で運ぶことが多かったからです。
 また、紙をつくるためには多くの水が必要でした。川がたくさん流れている葛飾に紙をつくる工場があったのはこのためです。