葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第2節 東京市葛飾区の誕生

■葛飾と水⑤カスリーン台風と水塚 :葛飾区の被害

 東京都知事は、東京都と埼玉県の境である大場川の桜堤で洪水を食い止めようと、桜堤の補強工作と共に、桜堤に連なる江戸川の堤防を一部破壊し、奔流を江戸川へ疎通する計画を立てた。9月19日にアメリカ軍の協力の下、堤防を爆破するが、時既に遅く、同日午前2時45分頃に桜堤は東端約100mの地点で決壊し、濁流は葛飾区に流入した。
 桜堤を破って浸入した水は、金町から柴又方面をはじめ、中川以東地域を浸水させた後、19日午後8時頃に下小松・上平井・小岩一帯から江戸川区に入り、20日夕刻、新川堤においてようやく食い止められた。
 これに加え、中川も急激に増水したため、中川一帯に土俵補強作業を行うと共に、上平井町先の荒川放水路背割堤の開削工事を開始したが、完了以前の20日午前2時40分頃、中川大橋上流の亀有2丁目において堤防右岸が約20mにわたり決壊した。このため、葛飾区全域が浸水し、江戸川区や足立区にまで甚大な被害をもたらした。
 葛飾区内の浸水の最高深度は、新宿町1丁目の新宿小学校や水元飯塚町付近で3.2mになり、死者3人、負傷者3人、行方不明1人、流失家屋27戸、倒壊67戸、床上浸水5万2758戸や床下浸水1370戸に及び、損害総額は東京都内最高であった。

水元小合上町水門にて対策を指揮する都知事
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江戸川堤爆破状況(米軍援助)
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決壊した桜堤
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被災者救護の受付開始(四ツ木橋鉄管橋附近土手上)
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四ツ木堤上における食糧運搬状況
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決壊後の中川堤防
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葛飾区周辺の浸水状況 昭和22(1947)年9月22日

葛飾区の大部分が浸水していることがわかる。GHQ東京撮影。
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