子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第9節 昭和時代

■戦争の影響 :

厳しくなる生活  
 多くの人が兵士として戦争に行き、農業をする人が減ってきました。さらに、戦争を続けるために戦争で必要なものをつくることが優先されたため、食べ物や日用品が不足しました。食糧や生活に欠かせない品物は配給制になり、お金があっても決められた量しか買うことができませんでした。戦争が激しくなると配給もおくれたり品物が手に入らないことも多くなってきました。配給だけでは食べ物が不足したため、人びとは道路や公園の空き地を利用してイモや野菜をつくっていました。

家庭用米穀通帳(1944〔昭和19〕年) (葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)

配給所から米穀の配達があるたびに配給月日、数量、金額および次回配達予定日など記入した通帳です。毎月1日に家族数の確認を受けるなど、配給は厳しく管理されました。
戻る時は右上の×をクリックしてください



空襲への備え  
 東京への空襲に備え、避難するための防空壕の整備や、空襲による火災を防ぐ防火訓練などが行われるようになりました。また、現在の四つ木や白鳥には、飛行機を撃ち落とすための高射砲が設置されていました。

山本亭(柴又7丁目)の防空壕あと
戻る時は右上の×をクリックしてください

葛飾区内の防火演習の様子

バケツリレーによる防火演習が行われました。
戻る時は右上の×をクリックしてください