子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第5節 室町・安土桃山時代

■室町時代の葛飾の暮らし(葛西氏から上杉氏へ) :

多くつくられた板碑
 室町時代には板碑が多くつくられました。板碑は、鎌倉時代中期から室町時代にかけて流行したもので、亡くなった人の死後の幸福を願って板状に割った石に文字を刻んだものです。中には自分の板碑を生きているうちにつくった人もいました。石は、秩父地方(埼玉県)のものが見つかっていて、舟で運んでつくられたと考えられています。
 葛飾には広い範囲で板碑が見つかっていることから、各村々で仏教の教えが広まっていたことがわかります。

葛西城のあとから見つかった板碑(葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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川を利用した暮らし
 このころの葛西では、川の流れによってできた、やや高い場所に村をつくって暮らしていました。村の近くには田畑をつくり、海に近い南部では漁業も行っていました。また、葛西には中川が流れ、海と内陸を結ぶ関東の玄関口として舟の行き来が盛んでした。猿俣(現在の水元)には、川の関所である河関が設置され、通る人は通行料をはらいました。このように川は交通に利用される一方で、大雨により川がはんらんし、稲の収穫ができず伊勢神宮へ年貢を納められないこともありました。