葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第2節 低地で暮らす

■蓮根とミトラズ :蓮根の栽培

 東京東郊での蓮根の栽培の歴史は少なくとも明治時代初期にさかのぼる。しかし葛飾区域で蓮根が作られるようになったのは比較的遅く、明治5(1872)年の『東京府志料』には、後に蓮根の産地として知られるようになる集落でも生産物の中に蓮根の記載がない。
 大正6(1917)年発行の『奥戸村誌』には、上小松、下小松、奥戸、奥戸新田で合わせて7町6段の蓮根が作付けされていることが記されている。また『東京市域内農家の生活様式』(昭和10〔1935〕年帝国農会)には、「上平井で行われている蓮根栽培は大正12(1923) 年の関東大震災をきっかけとして向島の業者が始めたもの」だと記されている。
 これらのことから、葛飾区域で蓮根栽培が広く行われるようになったのは大正時代のことと考えられる。明治30年代に生まれた人の話によると下小松町では大正時代初期に蓮根が作られるようになった。昭和に入ると新小岩駅の周辺から急速に都市化が始まり、田んぼに農業用水からの水が届かなくなり、孤立した池のようになってしまう所がでてきた。そのような田んぼでは蓮根を栽培した。そのため昭和初期から10年代にかけて急速に蓮根を作る田んぼが増加したという。
 蓮根の栽培には鉄分が含まれていない土が良く、青戸町にはこうした耕地が多かった。鉄分の入った赤土を「ガチ」というが、ガチで蓮根を育てると蓮根にも赤みがついてしまった。鉄分の入っていない土を求めているのは青戸町などで行われていた今戸焼の業者も同じであった。鉄分が入っていると焼き物が割れてしまいやすい。蓮根の栽培が盛んな土地にはたいてい今戸焼の材料の土を掘る業者がいたものだという。
 葛飾区内で栽培されていた蓮根はもともとナガハスと呼ばれる日本在来種の蓮であった。しかし、水はけの悪い水田で栽培していると病気になりやすいため、戦後は病気に強い中国原産の蓮根に変わっていった。ナガハスは色が白くて柔らかく、煮物にしても五目寿司の具にしても評判が良かった。
 蓮根の田んぼには大量の下肥を入れた。下肥によって耕土を軟らかくすることが目的であった。1反の田んぼに下肥の桶で約60杯投下することが基準であった。米を作る田んぼにはひしゃくを使って下肥を入れたが、蓮根の田んぼには桶から下肥をそのまま入れるか樋を使って流し込んだ。大量の下肥を入れた蓮根の田んぼは、「まるでタメボシ(下肥の貯留槽)に入っているようだった」という。下肥が安い冬のうちに船で下肥を買って肥溜に入れておき、春になってから使った。その後3月下旬に田んぼをマンノウで平らにしておき、4月下旬に種となる蓮を植えていく。
 7月に花が咲くがこの花が落ちると根の成長が止まるので掘ることができる。蓮根は東京では「先が見通せる」縁起の良い食べ物とされていたので、お祭りなど祝いの席のごちそうにはつきものであった。そうした需要の多い時期は蓮根の値段が上がるので、秋祭りの季節になると蓮根を掘り始める。とくに正月はどこの家でも野菜の煮しめを作るので、蓮根が欠かせない。そこで蓮根を栽培する人たちは12月になると寒いのもいとわずに収穫した。
 寒い季節に田んぼに入って蓮根を掘る作業は大変な重労働であった。蓮桶と呼ばれる桶で田んぼの表層の泥を払いのけ、手鋤という小型の鋤で根を掘っていく。根を傷つけてしまうと商品価値が下がるので、田んぼから出ている茎を見ながら根の方向を判断し、傷つけないように掘らなくてはならない。テッポウという鉄砲風呂を模した小さな桶で湯を沸かし、かじかんだ手を温めながら掘っていく。
 蓮根掘りには専門の職人がいて、大規模に栽培している家や仲買人に、忙しくなる秋から冬にかけて雇われていた。自分の家でも蓮根栽培をしてはいるが小規模であったり、蓮根栽培をしている農家の次男や三男などが蓮根掘りの職人になって賃稼ぎをした。この仕事は給金が良いことで知られていて、大工の手間賃に引けを取らない日当をもらっていた。職人に高い給料を払うことができる蓮根栽培は収益の高い仕事であったといえる。
 蓮根の取引の方法の1つに場買いというやり方がある。これはまだ蓮根の花が咲いているうちに仲買人が手付金を払い、田んぼ全体の蓮根を買い取ってしまうやり方である。場買いをした場合は掘るのも仲買人の仕事となり、仲買人が職人を雇って蓮根が高く売れる時期に収穫した。

蓮根の水田(昭和12〔1937〕年、本田川端町〔現東立石〕)

中央奥に写っているのは本田消防署の火の見櫓。
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鉄砲

中に湯を入れ、炭で保温する。この中でかじかむ手を温めながら作業した。
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蓮桶と手鋤

蓮桶で耕土の泥をかきはらい、手鋤で蓮の根を切る。
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現在の立石5丁目付近の蓮田(昭和32〔1957〕年頃)
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立石6丁目付近の蓮田(昭和32〔1957〕年頃)
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