葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第1節 家とムラ

■ムラの役割 :生活の互助

 葬儀の他にも、数年に1度行われる家の萱屋根の修理も近隣の人たちが手伝いをした。奥戸新町では、昭和30(1955) 年頃まで萱屋根の葺き替えが毎年どこかの家で行われていた。屋根の材料の萱はムラの共有地から刈り取ったものを使った。ムラの人たちの役割は、古い屋根萱を下ろして掃除をしたり、萱を小束にして屋根に上げることである。
 また、葺き替えに使われる膨大な量の縄は手伝いに来る人たちが無償で持ち寄った。上小松町では葺き替えの萱を調達するために萱無尽という講を作り、お金を積み立てて萱を融通し合った。
 ムラの中の道や用水路、神社などの公共の場の補修もムラの人たちが共同作業で行った。下千葉町では8月7日が道普請の日で、必ず家から一人は出て道路の補修をした。出ることのできない家ではあらかじめ決められていた出不足金を払った。
 柴又町では、1月23日を「土持ち」といって各家から一人ずつ出て江戸川の土手からモッコを用いて土を運び、八幡神社の本殿の周りの土盛りを補修した。この日は新しいモッコを持参することになっていて、各家からはたくさんの新しい棕櫚のモッコを持って集まった。
 このようにかつての生活は、同じムラに住む人たちが互助し合うことによって生活が成り立つ部分が多かった。そのため人々は、ムラに長く伝わっていた取り決めに従って生活をしていたのである。

日枝神社(水元小合上町)の茅の輪くぐりの準備(平成7〔1995〕年)

祭りの準備を当番が行う。
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