葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第1節 家とムラ

■ニワ・ズシ・クミ :ムラのなかの小集団

 下小松町(現新小岩1、2丁目付近)は明治時代初期に70軒の家があった注釈1。現在、江戸川区との境になっている境川親水公園に沿って家が点在していた。この下小松町は1つのムラであったが、ムラの行事を行うときにさらに2つの集団に分かれることがあった。これをニワと呼び、現在の八坂神社(新小岩3丁目)の辺りを境にして上のニワと下のニワに分かれていた。
 ニワとして行う行事の1つに、立春後の初めての午の日である初午に行われた悪魔祓いと呼ばれるものがあった。この行事は、7〜15歳までの男の子達が、集落の家を1軒ずつ回り、家を祝福する言葉を唱えながらお賽銭をもらって歩くという内容であった。集まったお賽銭で菓子などを買い、それを分け合った。その日はおこもりといって、子どもだけで上のニワは於玉稲荷神社、下のニワは八坂神社に泊まり、一夜を明かした。
 下小松以外の集落に目を向けると、上平井町は4つのニワに分かれていた。「若い衆」と呼ばれていた青年の集まりがそれぞれニワごとに結成されていた。奥戸本町では3つのニワに分かれ注釈3、神社の維持管理をする役割をする年番があった。この年番は、奥戸本町ではニワを単位として選出された。3つのニワの中から祭礼の当番のニワが1年ごとに決められていた。そのニワの人たちが祭礼の時の食事の接待を行った。
 水元小合町・下千葉町・本田川端町・本田立石町・亀有町や砂原町ではこうした小集団をズシといい、水元小合上町ではクミと呼んでいた。下小松町、上平井町や奥戸本町などのニワ、ズシ、クミは1つのムラが様々な行事のときに小さく分かれてズシやニワになるというイメージであるが、一方で独立性の強い小さな集団が寄り合って1つのムラを作っているといった方がふさわしい所もある。

新小岩の八坂神社付近

「下之庭」と記された標石。
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注釈1:東京府志料による。
注釈2:後に4つに分かれる。『奥戸に生まれ育って』清水その(昭和55〔1980〕年 私家本)