葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■自治権の拡充と計画的なまちづくり :まちづくり意識の芽生え

 葛飾区の市街地化は昭和30年代以降、人口増加を背景に急激かつ無秩序に進んだ。このため、都市基盤注釈1整備が遅れるとともに、木造住宅が密集する災害に弱いまちとなり、計画的なまちづくりが求められるようになってきた。そこで区は、昭和46(1971)年に「葛飾区総合開発計画」を策定し、計画的なまちづくりを開始した。
 また、亀有駅南口ではこれらの課題へ対応するために、再開発を求める動きが高まり、昭和46(1971)年に地元有志によって「亀有駅南口再開発計画案」が作成され、昭和53(1978)年には亀有駅南口第一地区再開発準備組合」を設立した。当時の亀有駅周辺には老朽化した木造住宅が密集しており、防災面の強化が求められていた。また、駅前広場や道路が未整備であったことや、大規模工場の移転などに伴い、商業活動が停滞していた側面もあった。
 金町駅南口でも、亀有駅と同様に木造住宅の密集による災害時の危険性、駅前広場などの都市施設の未整備や商業機能の低下といった課題を抱えており、昭和57(1982)年に「金町南口地区再開発協議会」を設立した。再開発事業の完成は、いずれも平成に入ってからになるが、駅前商店街、住民や自治町会などが協力して自らが住むまちをより良くしていこうという機運が高まり、区と協力して計画的なまちづくりを進めていくきっかけとなった時代であった。

亀有駅周辺の様子(昭和55〔1980〕年)
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金町駅周辺の様子(昭和55〔1980〕年)
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注釈1:都市において、生活の基盤となる道路・鉄道などの交通施設、上下水道などの供給・処理施設、公園・緑地などのこと。