葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■工業地としての発展 :明治・大正期の工業

 葛飾区域の近代工業は明治5(1872)年に小菅に置かれたレンガ工場から始まった。この工場は明治維新を迎えて、銀座一帯の建造物を洋風のレンガ建築にするため設置された工場であった。イギリス人技師を招き、ホフマン式輪窯を用いてレンガ製造を行った。明治20(1887)年頃には金町にも金町煉瓦株式会社が設立された。
 大正時代になると、葛飾区域には近代的な大工場が次々と操業を始めるようになる。大正3(1914)年、本田村に千種セルロイド四ツ木工場、大正6(1917)年に新宿町に三菱製紙中川工場、大正7(1918)年に日本紙業亀有工場(当時は日本紙器製造株式会社)が設立された。これらの工場の周囲には関連業者や下請けの工場が設立され、葛飾区域は次第に工場の町へと変わっていった。

千種セルロイド四ツ木工場の実測図

現在の渋江公園(東立石3丁目)の場所に設置された千種セルロイド四ツ木工場はセルロイドの材料から製品まで総合的に作ることのできる工場であったといわれている。
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