葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■葛飾と水④ 河川と産業 :葛飾区域の染色工業

 大正12(1923)年に刊行された『南葛飾郡誌』によると、南葛飾郡内は染色工業が盛んであった。特に荒川放水路以東の町村に業者が多かった。
 昭和4(1929)年に刊行された『本田町誌』には町内の染色工場として18の工場が記されている。この他に染色に関連した産業である布さらし業は7工場あった。これらの工場が多かったのは、この地域に縦横に河川や水路が巡っているので水資源が使いやすかったことによる。
 染色工業にも様々な種類があるが、葛飾区域に圧倒的に多かったのが友禅染めである。この友禅染めとは、着物やはんてん、風呂敷などを染めるものであるが、区域に多かったのは型友禅と呼ばれる技法であった。
 型友禅とは型紙を使って防染糊を布の上に置き、染色していく技法である。染料で染色した後は蒸して色を定着させ、防染糊を水で洗い流すが、この作業をかつては川で行った。川の上に台船と呼ばれる木でできた作業場を浮かべ、川の流れの中に布を入れて洗う。このため染色工場は川に近い所に設置されていることが多かった。昭和30年代になっても葛飾区の染色工業は盛んで、昭和 39(1964)年の東京オリンピックが近くなるとこうした技術を応用して国旗を作る業者も多くあった。

型友禅による風呂敷染め(平成3〔1991〕年、東金町)
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