第2章 葛飾の歴史
第9節 昭和時代
■自然素材を使った葛飾区のものづくり :
かつての葛飾区には、昔から続く、自然からとれるものを材料にしたものづくりを行う人が多くいました。
ふのりづくり
ふのりとは、海そうを乾かしてつくるもので、着物をほどき、元の布にもどして洗った後、乾かすときに使いました。
葛飾のふのりづくりは、現在の新小岩地域で江戸時代から行われていました。大正時代には規模が拡大し、昭和の初めごろには大産地となり、つくられた製品は全国に流通しました。その後、着物を着る人が少なくなり、ふのりづくりをする人は減っていきました。
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今戸焼
今戸焼とは、現在の台東区今戸でつくられはじめた焼き物で、江戸時代の終わりには多くの人に知られるようになりました。葛飾でつくられていた地域は、現在の青戸・堀切などです。これらの地域は、今戸焼の材料になる質のよいねん土がとれた地域でした。関東大震災により被災した職人などがそのねん土を求め集まってきたのです。かわらや植木鉢などがつくられました。一番多くつくられたのは昭和40年代末ごろで、その後、プラスチックの鉢などが広まり、今戸焼をつくる人は減っていきました。