■葛飾の近代化―レンガ工場 :
明治政府は、国を豊かにし、西洋の国に負けない強い国をつくるために、さまざまなものを西洋化していきました。レンガ造りの建物やガス灯も建てられていきます。そこには葛飾産のレンガも使われました。
大きな火事があった銀座
明治政府は、まち並みの西洋化も進めていきました。1872(明治5)年に「銀座の大火」とよばれる大きな火事があり、銀座の街は焼きつくされました。当時の銀座は木造の建物が多く、火事に弱かったのです。そこで明治政府は、銀座を西洋のように燃えにくいレンガの街にしようと考え、質の高いレンガがたくさん必要になりました。
銀座煉瓦街
銀座煉瓦街は、関東大震災で大きな被害を受けて姿を消しました。
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銀座レンガ街を支えたレンガ工場
1872(明治5)年に小菅県庁のあと地(現在の東京拘置所)にレンガ工場ができました。この工場は、日本ではじめて火を消さないで連続してレンガを焼ける西洋式の窯(ホフマン窯)を取り入れたので、質の高いレンガを大量につくることができたのです。
このため、小菅でつくられたレンガは、銀座煉瓦街にも使われ、銀座が西洋のような街になりました。その後、小菅のレンガ工場は明治政府が買い取りました。
小菅にあった集治監のレンガ工場
集治監は、現在でいうと刑務所のような場所です。
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小菅のレンガ工場でつくられたレンガの刻印(葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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