子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第9節 昭和時代

■戦後の教育 :

分けられた小学校の授業  
 戦後の葛飾区は人口が増え、小学生の人数も増えました。そのため、教室の数が不足し、ほとんどの小学校で午前と午後に児童を分けて授業をしました。それでも授業を受けられない児童がいる場合は、小さな教室をつくってそこで授業をしました。午前と午後に分かれる2部授業がなくなるのは、1964(昭和39)年になってからでした。

葛飾区立小学校の体育館での授業(1946〔昭和21〕年)

児童数が急激に増えたため、体育館を仕切って教室にしました。
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変わった学校給食  
 戦後、本格的にはじまった学校給食もだんだんと変わっていきます。食糧事情の厳しかった終戦直後は、牛乳から脂肪分を除いて粉状にしたものを水にとかした脱脂粉乳というミルク中心の給食でしたが、だんだんとパンとミルクを中心とした給食へ切りかわっていきます。葛飾区の給食がパンを中心としたものになっていったのは、1950(昭和25)年9月からでした。

学校給食の様子(昭和30年代)(宝木塚小学校)
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脱脂粉乳が中心の学校給食
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パン・ミルクが中心の学校給食
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