葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■人々の祈願と信仰 :三峯講

 埼玉県秩父市の三峯神社を信仰する講中である。大正5(1916)年刊行の『三峯大観』には「東京葛飾講」「南葛講」など葛飾区域と関連があると思われる講中の記載があり、講員数は100人以上という規模であった。区内には現在もいくつかの三峯講が活動している。そのうち東京本田講は明治時代に始められ、最盛期には1000人を超える規模を有した全国で最大級の三峯講社である注釈1。6月に登拝を行なうほか、年間を通じて活動が盛んである。聞きの取り調査によると、水元飯塚町、水元小合上町、水元小合町や上平井町などにも三峯講があり、このうち水元小合上町の三峯講は、ムラで祭っている日枝神社の境内社として三峯神社があるので、その祭礼日である9月15日に間に合うよう代参を送り、お札を頂いてきた。このように各集落ではそれぞれのスケジュールで三峯講を伝えていた。

秩父市三峯神社「本田講社」の標石
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注釈1:西村敏也「東京本田講に関する一考察」 『武蔵野大学総合研究所紀要 No.24』(平成26〔2014〕年所収)。