葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■前栽場の暮らし :【夏野菜の最盛期】

 6月中旬に田植えが終わると、枝豆やキュウリ、ナスなどの夏野菜の出荷に向けて準備が始まる。枝豆は7月上旬になると出荷が始まる。下千葉町では「下千葉中生」と呼ばれる品種が主力で、新暦のお盆に出荷の最盛期を迎えた。下千葉中生は「お茶屋もの」と呼ばれる料亭向きのもので、値段も良かったが、品質や見た目にも神経を使って育てた。「売り物には花飾れ」という言葉があって、枝豆を梱包する方法にも工夫が凝らされた。
 お茶屋ものとして出荷する枝豆は、1つの房に1粒しか入っていない豆を「一粒なり」と呼んで全て取り除き、葉も取り除いて豆の部分がよく見えるようにし、「俺の枝豆を見てくれ」と言わんばかりに束ねた。これをカクマルキと呼んだ。机の引き出しなどを利用して四角い束を形作り結束した。これに対し、一般の八百屋に流通させる枝豆は、葉を残し根元をまとめて束ねられた形からトックリマルキと呼ばれていた。
 市場のヤリサキは、その日の入荷量や買いに来る仲買人の顔ぶれや数で値段が決まってくる。農家は競い合って目立つ場所を取ったが、実はヤリサキを掛ける順番は決まってはおらず、ある日は左から順に、ある日は右からというように売る順番はまちまちであった。また、通常は売りはじめに高い値段が出て次第に下がっていくが、荷が少ないときは、「尻っぱね」といってその日のヤリサキの最後になって値段が跳ね上がることもあった。
 またその日最後のヤリサキをトメウリと呼ぶ。このときは大勢の人が見ている前でヤリサキがあるのでとりわけ腕自慢の農家が荷を出したものだという。どのような作物でも初物は高値で取り引きされ、荷がそろってくると安くなってしまう。
 7月中旬に枝豆の出荷が終わるとキュウリやナス、シロウリなどが最盛期を迎える。これらは成長が早く、朝収穫して夕方もまた収穫するほどで、出荷が過剰になりがちであった。こうした夏野菜は「台で売る」といって、通常は1つの野菜の山ごとに値段を競るところを「この山からこの山までいくら」というように、まとめて値段をつけられてしまうことがあった。また、大きくなり過ぎたものはハネダシと呼ばれて規格外の扱いになり、売り物にしてもらえなかった。
 7月下旬になって、どこの集落でもナス、キュウリを出荷するようになると市場に持って行っても良い値段がつかない。そうした時期には市場には出さず、次第に増加しつつあったお花茶屋駅近くの新興住宅地に引き売り(行商)に行った。
 引き売りは嫁の仕事で、大きな声を出しながらリヤカーを引いて歩いた。若い女性にとっては、大きな声を出して野菜を売り回ることは恥ずかしく、いやな仕事の1つであった。「朝リヤカーにナスを積んでやっと売り切って家に帰ってきたら、またナスが切ってあったのを見てがっかりした」という。引き売りでは市場と違い、ハネダシのナスをおまけにすると喜ばれた。
 8月上旬には年末に売るしめ飾りの材料であるミトラズの稲刈りが一斉に行われた。どこの家でもしめ飾りを作っていたので、ミトラズを干す場所を競争で確保した。